昔の私は、お菓子を作ることだけを見ていました。
目の前の生地。
焼き上がり。
技術。
その一つひとつを覚えることに精一杯でした。
それだけで十分だったのです。
でも、毎日お菓子を焼き続けているうちに、少しずつ見える景色が変わってきました。
お菓子だけを見ていた視線が、その向こうへ向かうようになったのです。
窓の外の季節。
厨房に流れる静かな時間。
一緒に食卓を囲む人の笑顔。
「おいしかったよ。」
その一言に込められた、やさしい気持ち。
そんな何気ないものが、お菓子と同じくらい大切に思えるようになりました。
私は、お菓子を作り続けてきたつもりでした。
でも振り返ってみると、お菓子のある暮らしを育ててもらっていたのかもしれません。
忙しい日もありました。
思うように焼けなかった日もありました。
それでも厨房へ立ち続けた時間は、決してお菓子だけを残したのではありませんでした。
ゆっくり待つこと。
小さな変化に気づくこと。
目の前の一人を大切にすること。
そうした生き方まで、お菓子は静かに教えてくれました。
だから今、お菓子を見ると、その向こうに暮らしが見えます。
暮らしを見ると、人の笑顔が浮かびます。
そして、その笑顔が、また明日もお菓子を焼こうという気持ちにつながっています。
三十年という時間は、長いようで、振り返ればあっという間でした。
けれど、その一日一日は、とてもゆっくり流れていました。
私は、その歩みが好きです。
急がず、一つずつ積み重ねてきた時間が、今の景色を見せてくれました。
これから先も、きっと新しい景色が待っているのでしょう。
そのことを楽しみにしながら、私は明日も、いつものように厨房へ立とうと思います。
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