三十年のパティシエ手帖 ― お菓子が教えてくれた、小さな気づきたち

2026年08月15日 15:40
日本ハーブスイーツ協会

三十年という時間、お菓子を作り続けてきました。

そう書くと、とても長い時間のように感じます。

けれど私にとって、その年月は、特別な毎日の積み重ねではありませんでした。

朝、厨房へ立ち、材料を量り、生地を混ぜ、オーブンへ入れる。

焼き上がる香りに耳を澄ませ、焼き色を見つめ、お菓子を味わう。

そんな何気ない一日を、ただ静かに積み重ねてきただけなのです。

若い頃は、技術を身につけたいと思っていました。

もっとおいしく。

もっと美しく。

もっと上手に。

そんな思いで、お菓子と向き合っていました。

もちろん、その時間は私にとって大切な財産です。

ですが、これまでの時間を振り返ってみると、一番大きな贈りものは技術ではありませんでした。

お菓子が、暮らしを教えてくれたことです。

焦らなくてもいいこと。

待つ時間にも意味があること。

小さな積み重ねは、決して裏切らないこと。

季節とともに歩むこと。

目の前の一つを丁寧に大切にすること。

それらは、本で学んだことではありません。

毎日のお菓子作りの中で、少しずつ教えてもらったことばかりです。

だから、この手帖は技術書ではありません。

上手に作るためだけの本でもありません。

三十年間、お菓子と向き合う中で見つけた、小さな気づきを綴った記録です。

読み進めていただく順番も、決まりはありません。

気になった題名から開いていただいても構いません。

今日の気分に合う一編だけ読んでいただいても十分です。

きっと、その日の暮らしに寄り添う言葉が、それぞれ違うからです。

お菓子には、不思議な力があります。

食べたら終わりではありません。

焼き上がる香り。

厨房に流れる静かな時間。

誰かと囲む食卓。

そうした時間まで含めて、お菓子なのだと私は思っています。

だから、この手帖に書かれているのは、お菓子の話でありながら、暮らしの話でもあります。

仕事の話でもあり、人との向き合い方の話でもあります。

そして、自分自身と静かに向き合う時間についてのお話でもあります。

もし、お菓子作りが初めての方でしたら、どうぞ肩の力を抜いて読んでください。

もし、長くお菓子を作ってこられた方でしたら、「そんなこともあるね」と笑いながらページをめくっていただけたらうれしく思います。

正解をお伝えしたいわけではありません。

「私はこんなことを、お菓子から教えてもらいました。」

その小さなお便りを、一編ずつお届けしたいだけなのです。

お菓子作りは、完成させることだけが目的ではありません。

厨房へ立つ時間も、香りを楽しむ時間も、待つ時間も、誰かと分け合う時間も、そのすべてが、お菓子作りなのだと思っています。

そして、その積み重ねは、やがて暮らしを育て、人を育て、静かな文化になっていきます。

この「三十年のパティシエ手帖」が、皆さまにとって、お菓子を上手に作るためだけではなく、毎日の暮らしを少しだけ愛おしく感じるきっかけになれたなら。

お菓子とともに歩んできた私にとって、それ以上にうれしいことはありません。

どうぞ、お茶を一杯ご用意いただき、気になる一編から、ゆっくりとページをめくってみてください。

この手帖が、皆さまの台所と暮らしへ、やさしく寄り添う存在になれますように。


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