カモミールとオレンジジャムのマフィン。
オーブンの扉を開けた瞬間、キッチンを満たしたのは、どこか懐かしい、陽だまりのような甘い香りでした。
それは、細かくミルしたドライジャーマンカモミールの、リンゴに似た柔らかな芳香と、自家製のオレンジジャムが焦げる間際の、少しほろ苦い、けれど濃厚な甘い匂い。
二つの香りは、焼き上げられた生地の中で静かに混ざり合い、一つの新しい温もりとなって、部屋の空気を優しく包み込んでいました。
私は、熱を帯びた天板からマフィンを一つひとつ、丁寧に冷まし台へと移します。
きつね色に色づいた表面は、カモミールの粉末を含んで少しスモーキーな風合いを帯び、中央には黄金色に輝くオレンジジャムが、宝物のようにとろりととどまっています。
それは、ただ美味しいものを焼いた、という達成感を超えて、私の心に小さな安らぎをもたらす光景でした。
焼き菓子を焼くという行為は、私にとって、静かな祈りにも似た時間です。
生地を混ぜる時の抵抗、型に流し入れる時のとろりとした重み。
その一つひとつの所作に、誰かを想う気持ちが自然と指先からこぼれ落ちていく。
今回のマフィンは、明後日、久しぶりに会う旧友のために焼いたものでした。
彼女とは、学生時代からの長い付き合いです。
離れて暮らす今では、半年に一度、こうしてどちらからともなく連絡を取り合い、会う時間を設けるのが常でした。
「元気?」その一言から始まる、たわいない近況報告。
お互いの生活が忙しくなるにつれ、会える時間は短くなったけれど、その分、会えた時の安堵感は、年を追うごとに増している気がします。
彼女は、いつもどこか忙しなく、自分のことは後回しにして、誰かのために走り回っている、そんな人でした。
会えば、決まって「最近、ゆっくりできてる?」と、私は尋ねます。
彼女は「まあね、ぼちぼちかな」と、少し照れくさそうに笑う。
その笑顔の奥に、私は、少しの疲れと、それでも前を向こうとする彼女の強さを、いつも感じ取っていました。
今回のマフィンは、そんな彼女への、ささやかな贈り物でした。
「何か特別なもの」ではなく、日常の延長にある、温かくて、優しいもの。
彼女が、日々の忙しさから少し離れて、一息つけるような、そんな時間を贈りたい。
そう思った時、私の頭に浮かんだのが、カモミールとオレンジの組み合わせでした。
カモミールは、古くからそのリラックス効果で知られるハーブです。
甘く、けれど主張しすぎないその香りは、疲れた心を静かに鎮め、温かな眠りへと誘ってくれるような、不思議な力を持っています。
そこに、太陽の光を浴びて育ったオレンジの、明るくて、元気が出るような甘酸っぱさを加えたら。
彼女の疲れた心に、そっと寄り添い、小さな癒やしを届けることができるのではないか。
そう考えたのです。
贈り物は、受け取る人への想いをカタチにしたものです。
「何がいいかな」と悩み、選び、そして贈る。
その過程こそが、贈り物という行為の本当の価値なのではないか。
私は、カモミールとオレンジジャムのマフィンを焼きながら、改めてそう感じていました。
明後日、彼女にこのマフィンを手渡す時、私は何を伝えるでしょうか。
「これ、カモミールが入っててね…」と、その効果を詳しく説明することは、きっとしないでしょう。
ただ、「はい、これ、よかったら食べて」と、照れくさそうに差し出すだけ。
けれど、その言葉の裏には、私の彼女への、言葉にならない、けれど確かな想いが込められています。
彼女が、このマフィンを口にした時、何を感じてくれるでしょうか。
カモミールの柔らかな香りに、心がほぐれる瞬間。
オレンジジャムの甘酸っぱさに、心が少し元気になる瞬間。
その小さな変化の中に、私の想いが少しでも届いていたら。
それだけで、私は十分です。
贈り物は、人と人とを繋ぐ、小さな架け橋のようなものです。
言葉では伝えきれない、けれど伝えたい想い。
それを、贈り物は、静かに、けれど雄弁に伝えてくれます。
私は、これからも、焼き菓子を通して、そんな贈り物の魔法を、伝えていきたい。
カモミールとオレンジジャムのマフィン。
その温かな香りは、私の心に、そんな小さな決意を、静かに灯してくれたのでした。
ハーブの香りに優しく包まれる、焼き菓子を楽しむ時間。そんな心豊かな贈り物を、日々の暮らしに取り入れたい方へ。
日本ハーブスイーツ協会の『ハーブスイーツマイスター講座』にて、その入口をご用意しています。
このハーブスイーツの『ティータイムとハーブスイーツ』についての過去記事はこちら。
https://www.herbsweets-japan.com/blog/173834/
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