フレッシュレモンタイムの手ごねスコーンを、紙袋の底で遊ばせるようにして歩く。
そんな、なんてことのない午後です。
坂道をのぼりきった先にある、西陽が差し込む古いアパートメント。
そこには、少しだけ疎遠になっていた友人が住んでいます。
「久しぶり」という言葉の、どこに重心を置いていいか分からず、私はただ、腕にかけた袋の重みを感じていました。
玄関先で出迎えてくれた彼女の表情は、記憶の中よりも少しだけ柔らかく、それでいてどこか遠い場所を見ているようでもありました。
部屋に入ると、使い込まれた木のテーブルに、静かな光が落ちています。
お互いの近況を、慎重に、壊れ物を扱うように話し始めました。
沈黙が訪れるたびに、時計の秒針の音が耳に届きます。
言葉を尽くそうとすればするほど、本当に伝えたかった気持ちが指の間からこぼれ落ちていくような、もどかしい感覚。
そんなとき、私は持ってきたスコーンを皿に並べました。
オーブンで温め直すと、部屋の空気がわずかに震えます。
立ち上がってきたのは、どこまでも清涼で、けれど土の温もりを湛えたレモンタイムの香り。
それは、言葉で埋めようとしていた余白に、そっと染み込んでいくような香気でした。
「いい匂い」
彼女が小さく呟き、ようやく視線が重なります。
手ごねならではの、不揃いで力強い膨らみ。
表面に散らされたハーブの葉は、熱を帯びて、命を吹き返したかのように深緑の色を濃くしていました。
半分に割ると、中から立ちのぼる湯気が彼女の頬を撫でます。
一口、また一口と、私たちはゆっくりと味わいました。
小麦の香ばしい甘みの奥から、レモンタイムの爽やかな風が吹き抜けていきます。
鼻の奥に残るその香りは、澱んでいた空気や、心の中にあった小さな棘を、静かに溶かしていくようでした。
美味しいものを一緒に食べている、というただそれだけの事実が、重苦しかった沈黙を、豊かな「間」へと変えてくれます。
「ずっと、気になっていたんだよね」
彼女がぽつりと言いました。
それは謝罪でも感謝でもなく、ただそこに在った、素直な心の置き場所でした。
贈り物というのは、その物自体を渡すことが目的ではないのかもしれません。
手渡す瞬間の、指先の震え。
相手が喜ぶ顔を想像しながら、材料を選び、生地をこねる時間。
そして、その香りが媒介となって、凍りついていた言葉が解け出す。
ハーブスイーツは、人と人との境界線に、そっと寄り添う淡いヴェールのような存在です。
日は傾き、部屋の隅には深い影が落ち始めていました。
けれど、テーブルの上にはまだ、レモンタイムの清々しさが微かに漂っています。
お暇する時、玄関で見送ってくれた彼女の手は、先ほどよりも心なしか温かく見えました。
「またね」と言えることの幸せを、鞄の中に残った小さなハーブの葉に見つけたような気がします。
特別な出来事は何一つ起きなかったけれど。
香りに導かれるようにして、私たちはまた、新しい季節を歩き出せる。
そんな手応えが、帰り道の足取りを少しだけ軽くしてくれました。
ハーブの香りに優しく包まれる、焼き菓子を楽しむ時間。そんな心豊かな贈り物を、日々の暮らしに取り入れたい方へ。
日本ハーブスイーツ協会の『ハーブスイーツマイスター講座』にて、その入口をご用意しています。
このハーブスイーツの『ティータイムとハーブスイーツ』についての過去記事はこちら。
https://www.herbsweets-japan.com/blog/173880/
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■まず最初に、全体像を静かに辿りたい方はこちら▼
[https://www.herbsweets-japan.com/blog/173534/]